ラジオについて、僕の中での、ひとつのピリオド〜これから〜

今日(日付上は昨日)はとある寄合でした。
色々話をし、その中で一人思う訳です。
(僕はこの中にいて良い人間なのだろうか?)

僕は自分のやってきたことにそれなりのプライドを持っているけれど、その総てに対して自信がある訳ではない。なので、ついつい「あの人はあんな事が出来るし、この人はこんな事が出来るのに俺ときたら・・・」みたいなネガティブ思考になりがちなんです。

ま、それは駄目だなと思うのですが。でも思ってしまう訳です。

話の中で横道にそれた時、ふと思ったんですよ。
(評価がどうとかの前に、自分自身で納得の出来る事をやれている?)
掲示板に書かれてしまった空回りしているでおなじみのラジオ。
「うるせぇ! これが“俺のラジオ“じゃあ!!」
なんて吠えてみたものの、でもやっぱり自分自身、足りないと思っている事は多々ある訳で。現状に納得したらそれはそれで終わってしまうけれども。でも、納得できないレベルのまま、ずっと続けていくのか? って考えたら、そんなのは楽しめていないなぁ、と。

僕のラジオって、趣味>仕事なんですよ、結局。
ラジオ関連で食べていければ、それは幸せな事だと思います。でも、現実としてそうじゃない。僕はラジオで生計を立てている人間じゃない。だからと言って、手抜きはしていない。失敗しているかもしれないけれど、趣味でやっているのも、委託で編集しているのも、同じ力を注いでやってる。でもね、そこには“楽しみ”があるんですよ。今回はどうなるのかな、って。それは、真面目とか不真面目とかではなくて。僕は仕事だろうと趣味だろうと、ラジオに関しては常に本気だし、楽しんでやろうとしています。
そうじゃないと、良いものなんて出来ない。

作り手が楽しんでいないコンテンツなんて、その人の最高の輝きを表現できる訳がない。

だから。
もう難しく考えるのではなく。
悩むのでもなく(技術的向上を目指す上では悩んでも良い)。
ただ、楽しもう、と。
熱意のない何かに引っ張られるのは時間の無駄。
だから。
僕は、楽しくラジオをやっていこうと思う。

生意気? そうかもしれない。
「お前みたいな奴が、なんで平気な顔してそこにいるんだよ」
そういう事を言われた事もあります。
でもね。
苦労しないでここまで来れた筈無いじゃない。
ずっと必死だった。いつ切られるか、いつバッシングされるか。怖かった。
その上で、僕は楽しんでラジオをやろうと決めました。

正直、これまでに関わってきた幾つかの番組の中で、楽しめなかった事があります。その番組は、やっぱり良いモノにはならなかったと思います。
楽しんでやってこそ、コンテンツとして輝くと思う根拠は、弱いですがそういう事なんです。
だから。今後、もし僕が楽しくラジオをやれなくなったら。
その時は、終わりなんだと思います。
これが“プロ”なら話は別です。でも、僕は“プロ”じゃない。

自分に何が出来るか。それを考えた時、やっぱり僕にはラジオしか残らないんですよ。それだけで約二年間、突っ走った訳ですから。
だから、その約二年間を大事に、今後に活かしていこうかなと。
僕のやる事がどの程度までコンテンツとして力を持てるかなんて分からないし、どうでも良いかなと思いますが。それでも、誰か一人でも「良かった」と言ってもらえるように。頑張ろうかな、と。

という訳なので。
もしも僕と知り合いの方で、ラジオについてアレコレしたいという方がいたら。
それが楽しめるものであれば、協力は惜しみません。
やれることに制限はありますが。

とまぁ、ようやくそういう風に思えるようになりました。
いやぁ、長かった。

やっと、悪夢から抜け出せた様な気がします。

さぁ。
後はハンディレコーダー買って、高尾山に登るだけだ。